三沢光晴 事故死
プロレスラーの三沢光晴が事故死した。
本名同じ。
2009年6月13日午後8時半ごろ、広島市中区基町の広島県立総合体育館であったプロレス
リング・ノア広島大会で、試合中に倒れ、心肺停止状態で広島大学病院に救急搬送され
た。県警広島中央署によると、同10時10分に死亡が確認された。
享年46歳。
北海道夕張市出身。1962年6月18日生まれ。
身長185cm/体重110kg。プロレスラー。
1981年4月に全日本プロレスに入門
メキシコへの海外武者修行から帰国後に、2代目タイガーマスクとして脚光を浴びた。
90年の試合中に自らマスクをはぎ取ると、翌91年には当時トップレスラーだったジャン
ボ鶴田を初めてシングルマッチで撃破し、三冠ヘビー級王者として活躍後、00年7月に
新団体のノアを設立後には社長に就任、トップ選手として活躍を続けていた。
得意技:エメラルドフロージョン、エルボー、タイガードライバーなど
早朝トイレで目が覚め、なにげなくテレビを付けていたらニュースで事故死を伝えてい
て、寝ぼけ眼で聞いてたのが、いきなし衝撃的ですぐさまPCを立ち上げてネットで確
認したら間違いない事実だと判明。
「なにも言えねー」
なんていうか、プロレスラーの死というのはいくつか体験したけど大半は病気であった
り、事故といっても試合には関係ないケースが多かったし…。
もちろん試合中に不幸にも亡くなったケースもあったんだが。
なんていうかそのケースとはちょっと事情が違うというか。
三沢といえば間違いなく受け身の巧さではプロレス界の中でも特筆に当たるレベルで、
それが試合の展開を際立たせていたし、エルボーなどの痛め技なども引き立っていた。
全日時代での天龍達の離脱時に危機感からジャンボ鶴田に次ぐエース格にあがらなけれ
ばいけない中で、マスクを脱ぎ捨てて鶴田に立ち向かうもこてんぱんにやられてた後に、
「四天王プロレス」という長時間に渡っての高度な技の応酬で全日人気を盛り返して、
あげくには自身のカリスマ性も高めていった。
その頃には当時の職場の仲間とかと武道館大会に観にいったもんです。
たいていは試合後の武道館から帰る時に三沢の強さについて談義してたなぁ。
猪木を観てた頃はあまりにも遠い存在だったし、藤波や鶴田でさえも中学・高校時代の
憧れの存在だった。
働きだしてからは「闘魂三銃士」や「四天王プロレス」が等身大のヒーローではあった。
新日を観て育った自分だけど三沢の凄さは認めてましたわ。
そして武藤敬司との全盛期での対戦を熱望していた。
バックドロップという昔は必殺技であったのが今では繋ぎ技になってしまった。
数多くの危険な角度からのバックドロップも巧く受けきっていた三沢だったのに。
今、一番危惧しているのはプロレスがこれから先、落ち込んでしまうような気がする。
そもそも体を売りにしてどれだけ相手の技を受けきる事が出来るかがプロレス、本来の
魅力であるんだしなぁ。
ノアにいたっては、エース格は秋山とか新しい選手達だろうけど興行的には三沢の名前っ
ていうのは間違いなく顔だし、それを目当てにしてるファンも多いだろうし。
その三沢が事故死っていうのはあまりにもイメージが…。
危険度を売りにしてる技を出しにくくなるんじゃないかな。
あー、なんか書いていてうまくまとまらない。
自分自身でさえ最近はプロレスを見に行ってないから今後のことをとやかく言える立場
ではないんだけどさ。
最近のプロレス界の落ち込み状況にこのニュースはあまりにもダメージが大きい。
三沢光晴選手の冥福を祈ります。
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